西部劇ブームに沸いた1990年代
昔々、アメリカ西部。保安官もいない荒野の町レデンプション(贖罪の意味)で腕自慢のガンマンたちが競う早討ちトーナメント大会が開催された。賞金は、町を牛耳る悪党ヘロド(ジーン・ハックマン)が駅馬車強盗で奪った大金。参加者の中には、金髪の女ガンマン(シャロン・ストーン)や銃器店を経営するヘロドの息子(レオナルド・ディカプリオ)がいた。ヘロドは牧師(ラッセル・クロウ)にも競技に参加するよう強要するが……。
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)でケヴィン・コスナー、続いて『許されざる者』(1992年)のクリント・イーストウッドが、それぞれアカデミー作品賞・監督賞をW受賞する快挙を成し遂げた1990年代は、時ならぬ西部劇ブームを生み出した。『ラスト・オブ・モヒカン』(1992年)、『トゥームストーン』(1993年)『マーヴェリック』(1994年)……日本映画でも岡本喜八監督が『EAST MEETS WEST』(1995年)を作ったほどだ。そこへ意外な方向から参入したのが1995年の『クイック&デッド』だった。
監督は、コミック・ホラー『死霊のはらわた』(1981年)で一躍注目を集めてシリーズを連続ヒットさせ、リーアム・ニーソン主演の『ダークマン』(1990年)でハリウッド大作を任されるようになっていたサム・ライミ。その後はトビー・マグワイア版『スパイダーマン』シリーズ(2002~2007年)を大ヒットさせ、スーパーヒーロー映画ブームをけん引するヒットメイカーとなるのはご存じの通り。
主演は『氷の微笑』(1992年)のセクシー(脚組み換え)演技で世界的スターとなったシャロン・ストーン。マーティン・スコセッシ監督作『カジノ』(1995年)でアカデミー主演女優賞にノミネートされるなど、まさに絶好調だった。相手役には『許されざる者』でアカデミー助演男優賞をゲットし、その後も『ジェロニモ』(1993年)、『ワイアット・アープ』(1994年)と西部劇出演が続いていた名優ジーン・ハックマン。
さらに、助演格で出演したのが、これがアメリカ映画デビュー作となったニュージーランド出身のラッセル・クロウ(2000年の『グラディエーター』でアカデミー主演男優賞獲得)と、若手スターとして売り出し中だったレオナルド・ディカプリオ(2015年の『レヴェナント:蘇えりし者』でアカデミー主演男優賞獲得)だ。ディカプリオは、まるで『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)の主人公の若かりし日を思わせるキザなガンプレイを見せてくれる。
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原題の『THE QUICK AND THE DEAD』は、「早い奴と死人」。つまり「早射ちだけが生き残る」というような意味だ。
オールドスタイルとマカロニの融合
物語はあってないようなもので、ひたすらガンマンたちが西部の町の目抜き通りで早射ち勝負を繰り広げる。ただし、『死霊のはらわた』の地面の上を滑るようなカメラ移動など変幻自在なカメラワークが売りのサム・ライミだけに、超クロースアップ、ズーム、斜め構図、死体に開いた“風穴”など、マカロニ・ウエスタンと独特なホラー映画技法を合体させた、観て楽しい画面作りが連発される。
ギターにトランペットを重ねたアラン・シルヴェストリの音楽もマカロニをよく研究している。そしてなにより、寝乱れ姿もセクシーなシャロン・ストーンがサービス満点。タイトな革パンツとエレガントな(かつ胸元が開きやすい)白いブラウスにロングコートと、ウエスタン衣装が見事に決まっている。
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西部劇マニア的にいえば、登場するガンマンたちがガンベルトに直接ホルスターをつけた、いわゆるオールドスタイルで登場するのがなかなか新鮮。マカロニに限らずウエスタン映画ではいつの頃からか、ベルトより下、つまり腿のあたりにホルスターを固定するローポジション(ハリウッド・ホルスターともいう)が主流になっていた。しかし、史実的にはオールドスタイルが普通だったのだ。
さて、そんな『クイック&デッド』、公開当時は評判もイマイチ、興行的にも製作費の半分ほどの興収しかあがらず失敗に終わった。まあ、真面目で深刻な『ダンス・ウィズ・ウルブズ』や『許されざる者』とはまったく違う次元の、娯楽オンリーなB級ウエスタンである『クイック&デッド』に有名俳優や豪華なセットは必要なかったようにも思える。
どうしてこんなことになってしまったのか……実は、映画製作の主導権を握っていたのは監督ではなく、シャロン・ストーンだったのだ。共同プロデューサーとしてクレジットされているシャロンは、権力を駆使して自分の好み優先でラッセル・クロウとレオナルド・ディカプリオを起用したという。その後の2人の活躍ぶりからして目の付けどころは見事なのだが、いかんせん適役とはいいがたい。特にディカプリオは、シャロンとすぐに関係してしまう銃器店の店主役なのだが、撮影時19歳(撮影は1993年11~12月)で、もともと童顔。シャロン・ストーンは当時35歳だから、弟のガンマニア小僧にしか見えない。
ラッセル・クロウは、公開当時も観客の目を引く存在感があり、一瞬だけ見せるガンアクションも決まっていた。のちに『3時10分、決断のとき』(2007年)で再び西部のガンマンを演じるが、その頃にはいささか鈍重なイメージになっていた。シャロンはクロウを相当気に入っていたらしく、自らバストをはだけて激しいラヴシーンを演じる。まさか、プロデューサー権限で無理やり迫ったのだろうか……。ところが、この濃厚シーンはアメリカ公開版からはカットされてしまった(日本公開版にはあり)。現在鑑賞できるバージョンには、この場面があるものとないものが存在するので気をつけていただきたい(シャロンが一度町を出て、雨の中を戻ってきたあとのシーン)。
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シャロン・ストーンは『死霊のはらわた』ファンだった!
監督にサム・ライミを指名したのもシャロン・ストーン。『死霊のはらわた』シリーズ第3作『キャプテン・スーパーマーケット』(1993年)が大好きだったからとは、さすがIQ150といわれるシャロンだけあって映画を観る目も確かだ(異論のある方もいるだろうが……)。とにかく、当時のシャロンは人気抜群の旬のスターだった。ハリウッドでは興行的価値のある大スターの発言権は絶大なのだ。
実は1993年頃に、『クイック&デッド』準備中のサム・ライミ監督と会ったことがある。ある映画監督の雑誌取材のためにユニヴァーサル撮影所へ行ったところ、隣の部屋にいたのがサム・ライミだったのだ。『キャプテン・スーパーマーケット』のポスターにサインをもらったりして話していると、「今度西部劇を撮るんだ」と言うではないか。以下、当時の会話を思い出すと……
―もちろんマカロニ・ウエスタンは好きなんですよね?
ライミ:いや、あまり詳しくはないんだ。クリント・イーストウッドが出てるセルジオ・レオーネの映画は観たけど。
―え? じゃあ『ウエスタン』は?
ライミ:まだ……今度観てみるよ。
―ほかにも面白いマカロニ・ウエスタンがいっぱいありますよ。今度ビデオを送りましょう。
ライミ:ありがとう。お願いするよ。
当時はまだDVDもない頃で、マカロニ・ウエスタンは日本やヨーロッパで出ているビデオテープを探さないとなかなか観られなかった。後日、数本ビデオをみつくろって送ったところ、しばらくして丁寧な礼状が郵送されてきたのに驚いた。こんなに真面目で礼儀正しい映画監督には、いまだかつて会ったことがない。そういえば、会ったときもネクタイにスーツ姿で、とても『死霊のはらわた』の監督とは思えない雰囲気だった(『クイック&デッド』撮影現場でも常にネクタイをしていたそうだ)。
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レオーネ作品を研究しつくしたサム・ライミ演出の醍醐味!
そんなわけで、マカロニ談義から2年後に公開された『クイック&デッド』には、セルジオ・レオーネ的なマカロニ・ウエスタン要素がふんだんに盛り込まれていた。とにかくカッコいい長いダスターコートや、レオーネ印のガンマンの眼に迫る超クロースアップはもちろん、走って逃げさせた敵をおもむろにライフルで仕留めたり、登場人物のクロースアップと背景両方にピントが合って見えるスプリット・ディオプター・レンズを使ったようなショット(どちらも『夕陽のガンマン』[1965年]でおなじみ)、ダイナマイトを大爆発させて煙の中からシャロン・ストーンが現れるのは『荒野の用心棒』(1964年)そのまんまだ。
ほかにも、ズームレンズを使ったり、ガンマンのヒゲでマッチを擦る仕草もマカロニ・テイスト(セルジオ・コルブッチの得意技だ)。一方、敗れたガンマンの腹や頭に常識では考えられない大きな“風穴”が開くショットは、ジョン・ヒューストン監督の『ロイ・ビーン』(1972年)からの“いただき”だろう。ちなみに、『クイック&デッド』は『ロイ・ビーン』と同じくアリゾナ州オールド・ツーソンの西部劇セットで撮影されている。
また、実はシャロン・ストーン演じる女ガンマンの父親である保安官は、かつてヘロドのおかげで縛り首に……という回想シーンがあるのだが、これはどう見てもレオーネの『ウエスタン』(1968年:再公開題名『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』)のアレンジだ。シャロンが演じたのはハーモニカ(チャールズ・ブロンソン)の女ガンマン版だったのだ。
ちなみに『クイック&デッド』には『ウエスタン』(1968年)の黒人の殺し屋ウディ・ストロードが、まさにマカロニ的な役で登場しているが、これが遺作となった。
プロデューサーと大スターに翻弄される
ところが残念なことに、レオーネ作品をチェックしオマージュしまくったサム・ライミと違い、プロデューサーであるシャロン・ストーンはまったく違うことを考えていたようだ。この女ガンマン、凄腕なのに自信がないらしく、なぜかいつもおどおどしているし、なにかとセリフも多い……つまり演技したくてたまらないのだ。おかげで、ミステリアスな魅力が消えてしまい、初めから女ガンマンに「目的がある」ことは観客にバレバレだ。
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『荒野の用心棒』の脚本からほとんどのセリフを削ってしまったクリント・イーストウッド、ハーモニカを吹くだけでほとんど喋らない『ウエスタン』のチャールズ・ブロンソン……彼らの演技プランをまったく理解していなかったのは明白だ。同様の失敗はジーン・ハックマンの起用にも通じる。セリフで説明する場面が多すぎだ。過ぎたるは、なお及ばざるが如し、と言っておきたい。
もうひとつ、最大の問題は「ユーモアの欠如」だろう。『死霊のはらわた』や『死霊のはらわた II』(1987年)で“怖いのに笑える”新次元のスプラッター・ホラー映画を確立させたサム・ライミなのだから、『クイック&デッド』を“カッコよくて笑える”痛快スプラッター西部劇にすることもできたはず……。おそらく、真面目で礼儀正しいサム・ライミは、シャロンやハックマンたちの「演技させろ」「セリフ喋らせろ」要求に翻弄され、屈したということなのだろう。
映画史に残る3大名優豪華共演の拳銃談義
それでも、いま見るとゾクゾクする場面もある。まるで『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966年)でトゥコ(イーライ・ウォラック)が訪れたような銃器店で、ハックマン、クロウ、ディカプリオという3人のオスカー主演男優賞俳優が、いろいろなリボルバーを取り出しながら拳銃談義をする場面だ。名優のムダ使いという意見もあるだろうが、西部劇&ガン・マニアにはたまらないだろう。これは、まったくもってシャロン・ストーンの功績だ。
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ストーンが実権を握ることになったのは、製作に日本の会社が参加したこともあったのかもしれない。映画の冒頭に大きく堂々とクレジットされる「Japan Satellite Broadcasting Inc.」の文字。日本衛星放送、現在のWOWOWだ。『氷の微笑』は日本でも大ヒットし、シャロン・ストーンは宝石店や化粧品のコマーシャルにも起用されていた。ストーン人気を当て込んで出資したに違いない『クイック&デッド』が、図らずも日本の時代劇と西部劇から生まれたマカロニ・ウエスタンを思わせる西部劇になってしまったのは、単なる偶然だったのだろうか。『クイック&デッド』は日本資本によるソニー・ピクチャーズ(1989年より)傘下のトライスター映画作品だ。
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2020年、製作から四半世紀=25周年を迎えた『クイック&デッド』を祝福している映画ファンは、世界的にみてもほとんどいないだろう。ただ、せっかくの日米合作ウエスタンなのだから、ここでひとつお願いしておきたいことがある。
『クイック&デッド』公開版からカットされたシーンに、ディカプリオの結婚式場面(相手はシャロンではない)があり、あのブルース・キャンベルが出演していたというではないか。キャンベルは『死霊のはらわた』シリーズの主人公アッシュ、テレビシリーズ『死霊のはらわた リターンズ』(2015~2018年)をライミと共作し主演を務めている。レオーネ&イーストウッド、黒澤明&三船敏郎、そしてライミ&キャンベルと言っても過言ではない、まさに名コンビなのだ。
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できることなら、この幻の結婚式場面を復活させ、シャロン・ストーンの濃厚(ヌードあり)ラヴシーンや3大オスカー俳優の「拳銃談義」場面を延長した、『クイック&デッド 完全版』をまとめてもらえないものだろうか。……え、そんなのムリ?
文:セルジオ石熊
『クイック&デッド』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2020年6月放送