2019年のカンヌ国際映画祭「監督週間」で世界初上映されて以降、トロント国際映画祭、オースティン・ファンタスティック映画祭、サン・セバスティアン国際映画祭、マカオ国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭など世界各国の映画祭で上映され、アメリカでは現地時間2019年9月27日から先行公開された三池崇史監督最新作『初恋』がいよいよ2020年2月28日(金)より日本公開! バイオレンス映画の巨匠が初めてラブストーリーを描いたことでも話題の本作について三池監督に語っていただいた。
アウトローたちが意図せず残した輝きを描く『初恋』
―今まで世界中の映画祭に参加されていますが、特に印象深かった場所はありましたか?
初めて海外の映画祭に招かれたのは、1997年のトロント国際映画祭のミッドナイト・マッドネス部門でした(『極道戦国志 不動』)。純粋なオリジナルビデオ作品、いわゆるVシネマだったんですけど、それを映画祭のディレクターが見つけてくれて、無理やりプリント(劇場公開用のフィルム)にして1,200人くらい入る劇場で上映してくれたんです。作品が誰かの目にとまることによって一人歩きをして、ミッドナイト・マッドネスっていうイベントそのものの人気もあったんですけど、劇場いっぱいの観客が作品を観て楽しんでくれていた。そこに監督として立ったときに、「ああ、映画ってこういう力があるんだ」「作品が想像もしない場所に連れてきてくれたんだ」って感じて、嬉しくもあり、自分にとってはちょっとした奇跡だったんです。
観客とともに盛り上がりながら観た自分の作品というのが、非常に面白く観えたんです。やっぱり劇場で観客が最後の仕上げをするんだなって感じました。特殊な環境ではあるんですけど、こんな自分の作品でも何かの役にたつことができるんだって感じさせてくれた最初の映画祭なので、気分的には「戻って来たぞ」っていう気がしましたね。今回はカンヌ国際映画祭の「監督週間」を皮切りに始まったんですが、「監督週間」というのは、業界の中では監督の登竜門なわけですよ。ミッドナイト・マッドネスもどちらかというと、次のステップへ進むために通過していく場所のようなところがあって、いろんなところに行って、またそこに帰ってきている。ずっと登竜門をグルグルしてるというのが、なんか楽しいなぁって(笑)。
―今回の『初恋』は恋愛だけではなく、映画愛などの様々な愛が込められていると感じたのですが、愛をテーマにした率直な理由を教えてください。
恋愛を望んでいたわけではないし、そういうことに期待をしない人間たちが、とんでもないことをキッカケに出会って恋が始まって、お互い大切な存在になっていく。ただ、その原因を作った人間たちが本当にどうしようもないヤツらで。でも、彼らがいなかったら出会うこともできなかった。マイナスなポイントが結果的にはプラスになる話。つまり、ネガティブもポジティブも全部合わせて、何かしら生きて存在したっていう証があって、自分たちも知らないところでいくつもの綺麗なものを残してる。「それが人生なんじゃない?」というようなものが作れればいいなぁと思っていました。
出てくる人間の一人一人の行動を観てもらうと分かるんですが、みんなちょっとづつ失敗を犯すんですよね。自分の計画とは違う行動、ミスを犯してしまうんです。そのミスの積み重ねで彼らは命を落とす。命がけでやって、散っていく者がほとんどなんだけど、でもその中でちゃんと恋が残って、それがなんか素敵だよなっていう作品。そういうことであれば、アウトローたちっていうのにも、まだ映画の中に居場所があるんじゃないかと思って。例えば最近の作品だと、ヤクザだったら悪者・敵っていう記号としてしか出られない。それはもうあくまでも記号であって、役じゃないんですよね。そういうキャラクターをただ演じてるだけで、人間じゃない。でも、こういう作品であれば、その人間たちの愚かさと同時に可愛さとか、共感できる所とか、そういうものが描けると思ったんです。
―撮影現場では大変なこともあったと思うのですが、監督を含めみなさんが楽しそうに演じているのが伝わってきました。制約なく自由に演技できる環境はどういう風に作られたのですか?
とくにほかの現場と変わることはないと思うんですけど……、ただ、役をイメージ通りにちゃんと演じてもらうっていうより、その役を楽しんでもらったかな。“この人間はどういった育ちで、こういう状態であって、こういう性格なんですよ”みたいな具体的な打ち合わせを全部排除して、台本を読んで役者が受ける感想と、もうちょっとコートは長い方がいいとか、髪の毛はこうしようとか、現場の我々との具体的なやり取りでキャラクターを作っていってもらいました。
本人たちが楽しむというか、増幅していくっていう感覚に近い。その役を自分の中に入れて、自分の気持ちと混ぜ合わせていく。どこかが自分と波長が合う、共鳴する部分っていうのを探してもらいましたね。いわゆる役作りというか、そういう作業はそれぞれに委ねてる所があって、みんな非常にうまくやってくれたんじゃないかな。
「窮屈なのがけっこう楽しかったりする」三池監督が語る日本映画界の現状
―先ほど、アウトローの作品が少なくなったとのお話もありましたが、日本映画の変化というのは感じますか?
だいぶ大きく変わっているように思います。でも、実際には「変わった、変わった」と言っていることは、我々が嘆いているだけで、大したことじゃないのかもしれないですね。嘆く前に、「じゃあ変わらないものを作ればいいじゃん」っていうだけの話で、その程度のことかもしれないなとは思うんです。ただ、求められるものが変わるっていうことは、観客の映画に対する距離感というか、何のために映画を観に行くかっていう点では、ぼくらが子どもの頃と比べて大きく変わったと思いますね。
もちろん流行っているものを観て、共感してみんなで分かり合う、みんなが観てるものを観る。それで、みんなと同じところで笑ったり泣いたりっていう、要は一人じゃないんだって感じるための映画もあると思います。でも、同時に映画には違う役割もあって、例えばあなたはこれを観るかも知れないけど、オレはこれを観る。あなたはこの人が好きかもしれないけど、オレはこの人が好き。あのセリフ、みんなは良いっていうけど、オレはこっちのセリフの方が痺れる。日本映画は観るけど、フランス映画は観ない、逆に日本映画は観ないでフランス映画だけ観ますとか。ほかの人と一緒っていうことじゃなくて、自分はほかの人と違うっていう、差別化をするためにも使えるんですよね。
今はほとんどそういう機会がないというか、ちょっと変わった映画は都会の限られた劇場でだけやっていて、都市部に住んでいない人はみんなが喜んでいる作品しか観ることができなくなってる。それが20年も30年も続いているから、映画はそういうものだってなっていってしまっていると思います。もっと知らないもの、ほかにも楽しいもの、自分に合うものがあるはずのにそういったものに触れる機会が少なくなっているっていうのは、残念だなって感じますね。今は単館の映画館っていうのがほとんどないわけですからね。ということは、20年ぼくが遅ければ、『殺し屋1』(2001年)を作ったところで、流してくれる劇場がなかったわけですよね。どんどんそういう可能性が収縮していっているという感触は強くなってます。
でも、そのリバウンドっていうのも起こったりするわけじゃないですか。例えば園子温監督が出てきたり、白石(和彌)監督たちが暴力的な映画を作ったりだとかね。それは、世の中がそうだから、そうじゃないものを作りたくなるし、作らなきゃいけないっていう衝動から生まれてくるんだと思う。だんだん作れる幅そのものが縮まって来たなっていう窮屈さは確かにあるけれど、その窮屈な中でどう自分らしく知恵をつかって楽しむか?ですよね(笑)。
―今作でも窮屈さは感じたんでしょうか?
自分自身の窮屈さというよりも、主人公たち以外の登場人物(アウトローたち)の居場所って、昔は普通にあったけど、今の映画界にはほとんどないと思うんです(笑)。ああいう人間のいる場所がないっていうのは、暴力団対策法だなんだっていう現実とちょっと似てるところもあって。でも、決して消えたわけではなくて、みんなが意識しないようにしていたり、見えないふりをしているだけで、勇気を持って見ると、普通に存在しているんですよね。だから、そのへんにもうちょっと目を凝らしてみて、色々な世界が見えたほうがおもしろいんじゃないかなと思いますね。いろいろ議論するにしても、行動を起こすにしても、黙っているにしてもね。
今、情報はすぐに検索できて、何でもわかる。昔の感覚でいうと、あらゆる百科事典を手にしている状態。だけど一方で、万能感というか、何でも理解できる、知ってるんだという感触は、どんどん減っている。持っているからこそ、使わない。いつでもできるから今は調べない。何世代も前の人にあの機械があったら、きりがなく情報が溢れてるから、そこから何を引き出そうかって考えているだけで人生終わってしまうぐらい没頭しますよね。そうではなくて、もう手に入れたし、誰かが次のテクノロジーを開発してもっと便利になるから、オレたちは別に何にもしなくていいんだっていう状態が、なんか気持ち悪いな、もったいないよなっていう気がするんです。
昔からIT化するとみんな仕事は家でやって、空気のキレイなところで悠々自適に暮らしながら、働きたいときに働くようになるって言われてました。でも、そんな未来は絶対来ないんじゃないかって(笑)。そういう、進化に見えて大事なところが退化しちゃってる状況で、こういうヤツらが暴れられる場所を作っておきたいっていう思いはあります。自然だし、馬鹿馬鹿しいけど生きることに純粋だし、一瞬光りますよね。“人生は長さじゃないんだ”って感じてもらえる人もいるだろうし、それぞれのキャラクターを楽しんで、味わってもらえることはできると思います。
もともとアウトローの人たちって、映画にあんまり協力的であるはずがないですよね。ぼくらがこういうシーンを撮りたいと思っても、アウトローなんでぼくらの思い通りには動いてくれず、違うニュアンスのシーンになっちゃうっていうのは当たり前で、おとなしくその役割をまっとうする人は、決してアウトローとは言えないんですよ。だから、今回は役者さんたちにその振り幅ごと楽しんでもらいたかったんです。そして、世界には素晴らしい役者さんたちがたくさんいますが、その中で「日本の役者もおもしろいな」って思って欲しいし、日本で映画を観てくれた方々にもそんな風に感じてもらえたら嬉しいですね。そういうのを楽しんでもらえれば、居場所のなくなったキャラクターが復活してきた甲斐もあるかなって思うんですけどね。
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『初恋』は2020年2月28日(金)より公開