世界の映画祭で称賛を浴びる日本映画界期待の星・近浦啓監督
社会的なテーマの作品が少ないと言われる今日の日本映画界で、日本に生きる中国人の不法滞在労働者を主人公にした作品を、自らプロデュースし、本作で長編デビューを果たしたのが近浦啓監督である。これまでの短編作品『なごり柿』(2015年)や『SIGNATURE』(2017年)が、海外で高い評価を受け、満を持しての長編1作目となった新作『コンプリシティ/優しい共犯』(2018年)は、技能実習生として日本を訪れるも、劣悪な環境ゆえに逃げ出し、身元を偽って働く中国人青年チェンの姿を描く。
主人公に『孔雀 我が家の風景』(2005年)などで知られる若手注目株のルー・ユーライ、共演に藤竜也、カメラは是枝裕和作品等で知られるベテラン山崎裕と、一流のキャストとスタッフが集まった本作。2018年トロント国際映画祭でワールドプレミアを迎え、釜山国際映画祭出品、東京フィルメックスで観客賞を受賞、2019年ベルリン国際映画祭キュリナリー部門でヨーロッパプレミア上映された。
大胆さと粘り強さ、揺るぎない信念と才気を感じさせる近浦監督だが、このような物語に向かうきっかけは何だったのか。2019年のベルリン国際映画祭で遭遇した彼に、取材に応じてもらった。
―近浦監督は、幼少期を海外で過ごしたそうですね。本作を観ると、どこか日本を外側から俯瞰するような視線を感じるのですが、その生い立ちが関係していると思われますか。
近浦:意識的にそう思っているわけではないのですが、どんな人を描くかという点で、目を向ける対象が他の人とは違うのかもしれません。確かに僕自身、日本に戻ってから、日本語や日本文化を正しく勉強し直す必要があって、周囲の輪からは浮いてしまうことが多かったです。そんな経験から、社会のなかでマージナルな存在の人々に興味を持つようになりました。もちろんチェンが僕自身というわけではないのですが、このキャラクターを描く上で自分の内面を見つめるプロセスがあったという点で、投影されている部分はあります。
この脚本を書きながら自分自身のことを考えたとき、僕の周りの人間が、僕自身は彼らに何もしてあげられないのにも拘らず、とてもサポートしてくれたことを思い出しました。『コンプリシティ』という題名には、犯罪の共犯、ということだけではなく、誰かを支える絆のような意味を込めました。この主人公はとても受動的で、アクティブではない。彼の周囲の人間たちが彼を助けてくれる。でも、そんな彼が最後に、彼の人生の異なる局面におけるコンプリシティによって、自分の人生にとって大事なことを見つける。それが僕の描きたかったことでした。
「藤竜也さんは僕にとってのヒーローというか、レジェンドです」
施設を逃げ出したチェンは身元をごまかし、なんとか蕎麦屋で職を得る。息子と反りが合わない職人気質の店主、弘(藤)は、真面目で純粋なチェンに次第に心を開き、我が子のように接していく。徐々に環境にも馴染み、友人もでき、蕎麦職人としての腕を磨いていくチェンだったが、幸福な時間は長くは続かなかった……。
チェンの凛とした純粋さを表現するユーライ、彼を温かく包み込み、人生の師となるようなキャラクターを演じる藤竜也の演技が素晴らしい。
―ルー・ユーライとの出会いは、どのようなものでしたか。
近浦:北京でオーディションをしたときに出会いました。一目見て、彼の持つイノセンスが役そのものだと思いました。彼はふだん横にいて話をしていると、ふつうのお兄ちゃんという感じですが(笑)、カメラに入った瞬間にイノセンスを体現できる。そもそもこの物語に共感してもらうためには、物語だけではなく、主人公に共感できることも大切です。そのためには、役者がどんな顔をしてどんな雰囲気を持っているのかが、すごく大きい。だから彼のイノセンスはとても大切なものでした。
実は仕事を始める前に、まず僕が好きな短編を彼に見てもらおうと思い、カンヌ映画祭60周年を記念して作られた短編オムニバス映画『それぞれのシネマ ~カンヌ国際映画祭60回記念製作映画~』(2007年)における、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の『映画をみる』という作品を挙げたら、「僕、出ているよ」と言われて(笑)。映画のなかで、上映技師のお爺さんと少年が出てくるのですが、その少年役だと。知らなかったので、びっくりしました。彼はとてもしっかりした、素晴らしい役者さんでした。彼とはまず短編を作って、それからこの長編に臨んだので、お互い言語の壁はあっても、コミュニケートが大変だという印象はありませんでした。
―藤さんの蕎麦職人ぶりも素晴らしいですね。
近浦:絶対にブレないんですよ。そば職人として存在する藤竜也という役者がそこにいて、それはもう物語を超えた存在としていらっしゃる。だから、どこを切っても藤さんというより、あのキャラクターが存在していた。それだけ藤さんの献身は素晴らしいものがありました。あの情熱にはあらためて、とても感銘を受けました。
―藤さんは約1ヶ月間、毎日何時間も蕎麦作りの特訓をされたとか。
近浦:そう、その時期は筋肉もかなりついたとおっしゃっていました。本当に蕎麦職人として暮らしていたので、歩き方から何から全部それが体にすっと入っている。最初プロの蕎麦職人からは、1ヶ月くらいで一人前になれるはずがないと言われたのですが、その人も驚くほどの腕前になったんです。藤さんは僕にとってヒーローというか、レジェンドです。
-もともと藤竜也さんの出演作をご覧になっていたのですか?
近浦:はい、たとえば『愛のコリーダ』(1976年)ですが、今でこそ傑作として歴史に残っていますけれど、あの当時あの役をやれた役者、自分の人生やキャリアをかけてやれた役者はそうはいないですよ。早く彼とお仕事がしたいとずっと思っていました。もちろん緊張しましたよ(笑)。彼は知り合いだからとか、お金が高いからとか、そういうことで出演を絶対に決めない。脚本を読んで、いい脚本と思わないと出ないんです。脚本は何稿も書き直して、1年くらいかかったんですが、ずっと待ってくださって、引き受けて頂いたときは本当に嬉しかったです。
―映画のなかで、弘がチェンに自分の生い立ちのことを話す場面は、藤さん自身の実話も入っているのでしょうか。
近浦:はい、脚本を書いているときに、藤さんのお話を細かく聞かせて頂いたんです。藤さんは北京で生まれ、戦時中にご家族と共に日本に引き上げていらしたんですね。それを藤さんから聞いて、ぜひ映画のなかで使わせてもらいたいと思いました。というのは、中国人のお母さんに育てられたようなものだとおっしゃっていて、そんな藤さんが大人になって、中国人の若者をこういう形で迎えられたら、とても興味深いと思ったので。
「自分たちのなかにどんな偽善や嘘が潜んでいるのか、作家として意識的でありたい」
本作を観ると、人種の違いや国境が人々を分かち、対立が深まっている今の時代に、それらを超えて、心の触れ合いによって人々はまだ分かり合えることができるのだ、というポジティブなメッセージを受け取れる。ベルリン国際映画祭に集まった観客からも、そこが高い評価を受けていた。もっとも、そんな社会的なテーマを、単にリアルにというよりは、どこか寓話的な詩情や美しさをたたえた作風で表現しているのが個性的だ。
―本作にはリアルな面と、どこか寓話的な面が融合しています。これまでどんな監督から影響を受けてこられたのでしょうか。
近浦:この映画を撮ろうとしたとき、長編映画デビュー作でなぜこんな物語を撮るの? と多くの人に言われました。だから日本的なスタンダードからは外れているのかもしれないけれど、世界には僕と同じような視点を持っている監督、社会を見つめている監督は少なくない。映画芸術や美学といったものも重要ですけれど、僕の優先度は違うところにあるんです。かといって、プロパガンダ映画や、いわゆる社会派映画みたいなものではない作品を作りたいという思いもあって。
ケン・ローチはもちろん素晴らしい監督ですけれど、個人的にものすごく好きな監督かというと、そういうわけでもなく。じつは自分のオフィスに毎日顔を見られるように飾っている監督は、ミヒャエル・ハネケなんです。ハネケ監督がいつも僕を見ている(笑)。もちろん僕が作る映画のテイストとは違いますけれど、なんと言うか、姿勢を正す気分にさせられるんですね。彼の映画は容赦がない(笑)。でも彼の視線は、じつは自分のことをよく見つめていると感じさせられるし、自分もそうありたいなと思います。自分たちのなかにどんな偽善が、嘘が潜んでいるのか、そういったことに、作家として意識的でありたいなと思っています。
1作ごとに、異なる作風のものを撮りたいと語る近浦監督。国際的な意識を持った彼が、これからどんな方向に向かうのか、楽しみに見守りたい。
取材・文:佐藤久理子
『コンプリシティ/優しい共犯』は2020年1月17日(金)より公開
『コンプリシティ/優しい共犯』
技能実習生として来日するも、劣悪な職場環境から逃げ出し、不法滞在者となってしまった中国人青年チェン・リャン。彼は他人になりすまし、蕎麦屋で働き口を見つける。口数が少なく不器用な蕎麦屋の主人・弘は、実の息子との関係も悪くどこか心に孤独を抱えていた。厳しくも温かい弘の背中に父を重ねるチェン・リャンと、彼の嘘をつゆ知らず情を深めていく弘――二人はまるで親子のような関係を築いていく。しかしはかない嘘の上に築いた幸せは長く続かず、チェン・リャンを追う警察の手が迫り、すべてを清算する日がやってくる。その時、二人はお互いのためにある決断をする――
制作年: | 2018 |
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監督: | |
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2020年1月17日(金)より公開