【惹句師・関根忠郎の映画一刀両断】『ドクター・スリープ』とはいったい何者なのか!?
映画に携わる者の端くれとして、世紀の傑作『シャイニング』(1980年)の続編が、その40年後の世界に現出しようとは、迂闊なことに思いも寄らないことだった。これも天下の大作家スティーヴン・キング作品を、私が唯の一作も読んでこなかったことに起因しよう。世界にはあまりに読むべき本があふれている。
巨匠スタンリー・キューブリックの映画『シャイニング』は、私にすれば絶対に唯一無二の創造的単体であらねばならぬ孤高の作品であって、決して続篇(あるいはパート2)なるものが作られてはならない性質の、滅法際立った屹立する存在であるべきものと思っていた。大体、『ドクター・スリープ』なんていうタイトルへの飛躍からして意味曖昧で、いっかな『シャイニング』に到底拮抗するものとは、私は断じて思わなかった(勿論、大偏見であることを承知で言っている)。
すべて私にとっては<寝耳に水>だった。さて続篇『ドクター・スリープ』が日本公開となったのが、この秋2019年11月29日のこと。さほど興味を覚えず見る気になれなかったが、そうもいかないと考え12月に入ってほどなく、新宿ピカデリーに足を運んで続編と称する映画と全く白紙のまま向き合った。長尺だ。上映時間150分は超えていたと思う。しかし冗漫ではない。じっくり見終わった。並大抵じゃない熱量に圧倒されてもいた。
劇場で真っ先に分かったことと言えば、本作の主人公・ダニー(ユアン・マクレガー)が、6歳だったダニー(ダニー・ロイド)の40年後の人物だったということ。あ、成程そうなのかと今更ながら得心がいった。これはまるで最悪のS・キング無知、ホラー音痴の極みである。
鮮やかに蘇った映画『シャイニング』の完璧な超工芸的ホラー美観
続篇の誕生は、当然、スタンリー・キューブリック版『シャイニング』を、原作者スティーヴン・キングが酷く気に入らなかったことで作られたからだったらしい(後年、キングは自らテレビ映画を制作したほど)。思うに原作者と映画化の対立・齟齬・葛藤は古今東西珍しいことではない。こと『シャイニング』の場合、映画による極端な原作改変がなされたのだが、まずは続篇の感想を述べる前に、40年前の傑作『シャイニング』を見る必要がある。埃に覆われた書庫からDVDを引っ張り出して見るには、まず願ってもない絶好の機会だった!
内容は周知のことと思うが、ここではごく簡潔に! ある真冬、小説家志望のジャック(ジャック・ニコルソン)が妻ウェンディ(シェリー・デュヴァル)と幼いダニーとを伴って、ロッキー山頂にあるオーバールック・ホテルにやってくる。雪深い厳冬期間、閉鎖される無人ホテルの季節限定管理人として雇われたジャックは、ここで働きながら小説の執筆を計画していたのだが、やがてその一石二鳥の目論みはとんでもない事態を招くことになった。
この巨大ホテルが秘めていた過去の禍々しい、悲惨な出来事が生み出す恐怖。その呪いが次々と解き放たれて、それらが特別なシャイニング(超能力)を持つダニーの現前で跋扈し、跳梁し始める。幼いダニーの言語を絶する透視力と恐怖の極み。
一方、自身の文学的非才に苛立つなどして、アルコール依存症を再発し、ホテルの呪いに襲われ、常軌を逸し始めるジャック。恐怖が彼を苛み、狂気に駆り立てて、遂には妻と幼子とを殺そうと巨大な斧を手にして襲いかかる(怪優ニコルソンの独壇場!)。
ここからあとは言うに及ぶまい。連鎖するホラー場面の映像極美と手の付けられない緊迫劇展開のクライマックス。キューブリックのシンメトリー・デザインによる高度なホラーの構築(コンストラクション)性を40年ぶりにたっぷり味わえたのは、まさに至福! 圧倒された。
原作者スティーヴン・キングが絶賛した映画『ドクター・スリープ』
さて、40年前に父親ジャックの斧から逃げ延びたダニーは、長い間、そのトラウマを抱えたままアルコール依存の日々を生きながら、流れ流れてニューハンプシャー州に辿り着く。間もなくその町のホスピスに天職を得て、親身に末期患者に寄り添いながら、自身のシャイニング・パワー作用の成せる業なのか、やがては<ドクター・スリープ>とまで呼ばれるようになり、死に向かいつつある人々の癒しとなる。その一方、ダニーは同じ超能力の持主である少女・アブラ(カイリー・カラン)と本能的にテレパシーを交わすようになっていて、やがて二人は冷酷非情の集団「真の絆(トゥルー・ノット)」と対決する運命を担っていく。
トゥルー・ノットの首魁の名は、ローズ・ザ・ハット(レベッカ・ファーガソン)。飽くなき不死を求めて、多くの罪なき人々の生気を貪り吸い尽くす集団の悪しき女カリスマだ。殺戮を繰り返す魔女ローズは、アブラのシャイニング・パワーを奪おうと接近。そのアブラはダニーを探し出し、二人でローズ軍団と決戦すべく、あの悪夢の塔、オーバールック・ホテルの巨大廃屋に向かって行く。
この一大クライマックスの見事さは、そのビッグスケール、科学の粋を結集させた究極のハイ・テクノロジ―駆使によるとてつもない映像力、総演技陣の強力アクション・アンサンブル、これらの一糸乱れぬ圧巻の戦闘場面。どれをとっても監督マイク・フラガナン(脚本・編集)以下総製作陣のフル・パワーの賜物だ。老齢に至った原作者スティーヴン・キングを欣喜雀躍させたのは、いかにもめでたいことだったようだ。ホラーの御大キングは、大いに溜飲を下げたのではないか。
両極端の創造物!『シャイニング』VS『ドクター・スリープ』
1980年作『シャイニング』、2019年作『ドクター・スリープ』。ここで双方2作品を改めて見据えてみると、一番感じさせられるのは、月並みではあるけれどその相違点の一つは、<時代>ではないかとも思う。それは無論、執筆したキング自身と社会の変化が投影された2つの作品から感受させられる違いであって、大仰に言えば1980年と2019年との大差40年の歳月と言うことができそうだ。世界は、あるいは映画界は、この40年で大きく変換を遂げたと思うのだが如何だろうか? グローバリズムから分断現象への急変がそれである。
私見では、『シャイニング』の1980年前後までは、どうにか世界は政治・経済も堅調を保っていて、同時に映画業界もいわゆる大手が製作から配給に至るまで、作品の安定供給を維持していたように思う。しかし、やがて80年代の半ば頃から、世界の動静が不穏な動きを見せはじめ、軌を同じくするように、特に日本では映画大手各社がそれまでの体制を維持できなくなって、製作委員会システムへ移行し、やがては90年辺りのバブル崩壊の苦渋に遭遇するに至った。そして、この辺りから世界的なハイテクの急速な進化によって、映画表現の場においてはCG、SFX、デジタルを駆使する金属的メカ・アクション作品が一気に増えて、21世紀に突入していった。
今、『シャイニング』を見返してみると、プリミティブな人間の欲望や愛憎や怨霊などが潜む<生>の場に怪奇、恐怖、残酷を描き出す<手作り>のアナログ的濃度を感じるが、翻って『ドクター・スリープ』になると、ハイテクの総力戦が表立って、メカ・アクションやグロテスク・ホラーの色彩も勢い強くなっている。『シャイニング』に見られた端正な構成美の度合いが、近年のハイテク乱戦クライマックスによって、いかんせん押し込まれていっているのだ。
複雑化し混迷度を増していく一方の世界を、映画芸術プラス技術双方が、その表現において拮抗し、再構成・再構築していくパワーに期待したい。この2作から世界変貌の一端をも感じ取った。
文:関根忠郎
『ドクター・スリープ』は2019年11月29日(金)より絶賛上映中
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『ドクター・スリープ』
40年前の惨劇を生き延びたダニーは、心に傷を抱えた孤独な大人になっていた。父親に殺されかけたトラウマ、終わらない幼い日の悪夢。そんな彼のまわりで起こる児童連続失踪事件。
ある日、ダニーのもとに謎の少女アブラからメッセージが送られてくる。彼女は「特別な力(シャイニング)」を持っており、事件の現場を“目撃”していたのだ。
事件の謎を追うダニーとアブラ。やがて2人は、ダニーにとって運命の場所、あの“呪われたホテル”にたどりつく。
制作年: | 2019 |
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監督: | |
出演: |
2019年11月29日(金)より絶賛上映中