不良グループの抗争をオールディーズサウンドに乗せて描いたNY版『アメリカン・グラフィティ』
1979年の公開とあるから、私は小学5年生か6年生だったのか。当時、姉が所有していた、ディオンが歌う映画と同名の主題歌「ザ・ワンダラー」の45回転のEP盤レコードを繰り返し聴いたことを思い出す。私にとってこの曲は、きっと初めて“刺さった”ロカビリーの曲であり、非常に新鮮なサウンドに感じたものだった。
映画『ワンダラーズ』(1979年)は、1963年のニューヨーク・ブロンクスを舞台に、揃いのスカジャンで決めた、ナンパに余念がないイタリア系のグループ「ワンダラーズ」と、紫と黄色のレイカーズカラーのスタジャンで決めた黒人グループ「デル・ボマーズ」、スキンヘッドと革ジャンの「ボルディーズ」らの不良グループの抗争を、盛りだくさんのアメリカン・オールディーズサウンドとともに描いた、いわばニューヨーク版『アメリカン・グラフィティ』(1973年)のような作品である。
中坊は、そして中2病が治らない中年男子は、この同じユニフォームで身を包んだ不良グループの抗争モノが大好きだ。『アメリカン・グラフィティ』、『さらば青春の光』(1979年)、『ウォリアーズ』(1979年)、そして『ビー・バップ・ハイスクール』(1985年)(!)。ちなみに『アメリカン・グラフィティ』は1962年のカリフォルニアが、『さらば青春の光』は1964年のロンドンが舞台だ。このあたりに時代の節目が確かにあり、ある時期、複数の物語作家たちが若者の青春を通して、この時代を映し出そうと試みたらしい。
『ワンダラーズ』といえば、金色と茶色のサテン地で、背中に「The Wanderers」と描かれたスカジャン。当時、皆が憧れたものだ。この原稿を書くのに当たり、何人かに本作の思い出を訊ねてみたが、とにかくみなさんこのスカジャンがカッコ良かったことが、強く印象に残っているようだ。
ちなみにこのスカジャン、ネットを見ると、未だに中古ではなく現行の物が売っている(結構な値段)。しかし、いかにも映画の小道具という感じで派手過ぎて、現在これを着るのはかなり勇気がいるだろう。一方、スクーカム社の『アメリカン・グラフィティ』由来の「ファラオコート」は、私はいまだに、無性に欲しくなる(笑)。現在でも着られる「ファラオコート」と、デフォルメされ過ぎている「ワンダラーズのスカジャン」。この違いに実は、二つの作品の違いも如実に表れている。
デフォルメされたマンガチックなビジュアルに隠された内省的で文学的な語り口
『ワンダラーズ』は、全体的に不良たちがデフォルメされていて、マンガチックである。1963年のリアルな若者像とはとても思えないのだ。今回、改めて観賞していて、最初に「おやおや?」と思ったのは、アイルランド系のグループ、ダッキー・ボーイズが登場する場面だ。
ワンダラーズの面々が車中から可愛い女の子見つけ後を追う。車を走らせていると、次第に霧が立ちこめて来て、まるで神隠しにでもあったように道に迷う。皆、焦りだし「やばいぞ! ダッキー・ボーイズの縄張りだ」と恐怖する。そうして登場するダッキー・ボーイズの面々は、あたかも幽霊かゾンビのように不気味に描かれている。霧が立ちこめた様子は、なんだかマイケル・ジャクソンの「スリラー」のミュージックビデオのようだ。
ダッキー・ボーイズはその後、抗争の中で殺人まで犯すのだが、それもあまりシリアスに感じない。なにせ、幽霊かゾンビが犯した殺人なのだから。登場人物やエピソードが、どこかふわっとしていて、おとぎ話的なのだ。
その一方で、作品の全体的な語り口は、非常に内省的で文学的である。本当に主観的な印象なので「そんなことはない」と一笑されてしまうかもしれないが、私は観賞後『ホテル・ニューハンプシャー』(1984年)を思い出した。そんな感触を得たのだ。語り口とともに、ラストシーンがさらに文学的な印象を強くする。
主人公のリッチーは、街のイタリア系をまとめる“ドン”の娘を妊娠させて、結婚することになる。その披露パーティーの際、かつて思いを寄せた女子大生のニナを街中に見つける。後を追うと、ニナは小さなコーヒーハウスに入っていく。そこにはブレイク直前のボブ・ディラン(むろん俳優が演ずる)が「時代は変わる」を歌っている。自分とは住む世界が違うことをリッチーは悟る。
フィリップ・カウフマン監督が持つ様々な要素が絡み合って出来上がった青春音楽映画
『アメリカン・グラフィティ』や『さらば青春の光』のように、青春を描くことによってその時代の匂いや現実を立ち上がらせるのではなく、『ワンダラーズ』のフィリップ・カウフマン監督は、映像の叙事詩を作ろうとしているように思える。ケネディ大統領の暗殺を報じるニュースを、街頭のテレビで人々が見るシーンが唐突に挿入されるのもそのためだ。
そして、それがカウフマン監督の元来的な作風なのだろう。彼の監督としての地位を不動とした『存在の耐えられない軽さ』(1988年)は、正にその趣向だ。さらに付け加えると『存在の耐えられない軽さ』同様、『ワンダラーズ』にも、カウフマン独特のエロティシズムのスパイスが振り掛けられている。
『アメリカン・グラフィティ』のヒットを受けて制作されたものの、歴史文学物趣向のカウフマンの作家性と、どうしても滲み出てしまうエロティシズム、そして派手でカッコいいファッションセンスがごちゃごちゃと絡み合った結果、正直言ってどこかイビツだが、個性的な『ワンダラーズ』という青春音楽映画が出来上がったのだと私は思う。
本文冒頭で、本作は1963年を描いた物語だと書いた。これ以降、アメリカは激化するベトナム戦争の泥沼にはまっていく。正に「古き良き時代」の終焉の時期だ。そしてディオンが歌うテーマ曲「ザ・ワンダラー」も1963年の発売だ。
ザ・ビートルズがアメリカでブレイクし、チャートの上位5位までを独占するのが1964年。その後1966年末まで、ザ・ビートルズとローリング・ストーンズが1位争いをし、それ以外ではボブ・ディランだけがチャート争いに加わるのみだったという。テーマ曲の「ザ・ワンダラー」は、音楽エンターテインメントの世界も、歌謡曲時代から現在まで続くシンガーソングライター時代へ変わって行くさなかのヒット曲なのである。
文:椎名基樹
『ワンダラーズ』[HDニューマスター版]はCS専門映画チャンネル ムービープラスで2019年12月放送
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『ワンダラーズ』[HDニューマスター版]
1963年のNYブロンクス。様々な人種のグループが競い合うこの街で、17歳のリッチー率いるイタリア系グループ“ワンダラーズ”は一目置かれていた。ひょんなことから黒人グループと対立した彼らは、果し合いの代わりにフットボールの試合を行うことになる。
制作年: | 1979 |
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監督: | |
出演: |
CS専門映画チャンネル ムービープラスで2019年12月放送