フレディ・マーキュリー。彼にとって生きることとは即ち、歌うこと。
『ボヘミアン・ラプソディ』は、バンドメンバーという家族たちとのステージ=家へと向かう、たったひとつの道筋を見出した男の物語だ。彼の名は、フレディ・マーキュリー。自分が自分として生きる場所を探してもがき続けた孤独な魂。子どものようなピュアなハートを持て余し、泣くことすらできず、余りにも不器用に、切実に生きることを探し続けたフレディ。彼にとって生きることとは即ち歌うこと。
クイーンのメンバーとなったフレディ・マーキュリーは、いかにしてLIVE AIDの舞台にたどり着いたのか。どのように家族たるバンドメンバーたちと出会い、ステージという家を見つけたのか。ただそれだけを描き切ることに徹した『ボヘミアン・ラプソディ』の演出に迷いはない。フレディ・マーキュリーの「歌声」を得たブライアン・シンガーは、彼の孤独な旅の軌跡を描くために、クイーンの業績や栄誉、華やかな社交生活、莫大な富を描くことには一切頓着しない。むしろ、そんなことは余計なことだといわんばかりに、アンソニー・マクカーテンのブレない脚本を基に、クイーンのパフォーマンスを散りばめて物語を疾走させる。
1985年、幾多のロックバンドが経験したのと同様、クイーンにもグループ存続の危機が訪れる。当時としては法外な400万ドルの契約金で、フレディは2枚のソロアルバム契約を結び、バンドは活動休止状態に陥る。だが、ミュンヘンでのレコーディングは一向に成果が上がらない。ちょうどその頃、ボブ・ゲルドフが提唱したアフリカ救済のためのチャリティコンサート、LIVE AIDへの出演オファーが舞い込むが、その申し出はフレディの耳には届かない。
「あなたのいる場所はここじゃない」 雨が降りしきるミュンヘンで、永遠のソウルメイト、メアリー・オースティンが放った言葉は、雇われミュージシャンたちとのレコーディングや、現実逃避させる刹那的な享楽では誤魔化すことができない紛れもない真実をもたらす。フレディのすべての迷いが消えた時、彷徨い続けた放浪者が高らかに歌う狂詩曲に新たな命が吹きこまれる。
大きなベッドで目を覚まし、瀟洒な邸宅を横切り、同居する猫たちに見守られてロールスロイスに乗り込む。静かに走る車中には、サングラスで目を覆い隠した彼が座る。視界の先に見えてきたウェンブリー・スタジアムには興奮を求める人々が続々と集う。車から降りると真っ直ぐに通路を歩き、ゆっくりと革ジャンを脱ぐ。白のタンクトップから双肩がのぞき、ラングラージーンズで二度三度軽く跳躍する。カーテンが開いた先には8万人を超える聴衆たちがフレディを待っている。そして、奇蹟の21分間と謳われるLIVE AIDのパフォーマンスへと一直線に突き進む。
『ボヘミアン・ラプソディ』とは、何かが足りないという焦燥感に苛まれた現代人に捧げられた作品だ。誰もが孤独を感じ、誰もがやるせない現実を抱えて生きている。フレディは、誰にでも無限の可能性の扉が開かれていると歌い続けた。だからこそ、クイーンの母国イングランド、全米、日本を含めた全世界50を超える国と地域で初登場No.1ヒットの熱狂で迎えられたのだ。
この映画を観るために、フレディ・マーキュリーのことやクイーンの曲、バンドの軌跡を理解している必要はない。なぜならば、フレディ自身が本当の自分として生きることを、そして人々の心を震わせる歌を見つける物語なのだから。
ボヘミアン・ラプソディ
制作年: | 2018 |
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監督: | |
音楽: | |
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