【ポスターは映画のパスポート】ポスターのない映画は、存在しない映画だ
もし、ポスターのない映画があったとしたら、それは[存在しない映画]だ(どうしてもポスターがない場合、劇場主は手書きでポスターを作るだろう)。
映画ポスターにはすべてが詰まっている。身近にはいない美男美女、見たこともない景色、壮大な物語、度肝を抜くアクション、想像を超えた驚きや笑い、心ふるわせる歌や音楽まで……
というわけで、前回にひきつづき『イージー★ライダー』でアメリカン・ニューシネマのヒーローとなったピーター・フォンダの軌跡を、さらに映画ポスターで辿ってみよう。
早すぎた傑作『さすらいのカウボーイ』
『さすらいのカウボーイ』(1971年)の原題は『THE HIRED HAND』、つまり「働き手」だ。7年も妻と娘をほったらかしにして放浪していたハリー(ピーター・フォンダ)が家へ戻るが、妻は彼を認めず、ハリーは夫ではなく「働き手」として友人アーチ(ウォーレン・オーツ)と共に納屋で暮らす……。
https://www.youtube.com/watch?v=RurLOHa1mRk
とにかく、名撮影監督ヴィルモス・ジグモンド(これが初めての劇場用映画作品)のカメラが美しく、ローレンス・G・ポール(後に『ブレードランナー』(1982年)や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)を担当する)の美術はリアルそのもの、そして音楽はボブ・ディランの名曲「ミスター・タンブリンマン」のモデルとして有名なセッション・ギタリスト、ブルース・ラングホーンが全楽器を奏でて美しく静謐な音空間を創り上げていく。
西部劇でありながら、主人公はリアルな銃撃戦のあとに命を落とす(多くのアメリカン・ニューシネマの定番)。夫が失踪しても女手ひとつで生活を築いてきた妻ハンナは、堂々と女性の性欲についてすら語る。まったくのノーメイクで妻ハンナを見事に演じたヴェルナ・ブルーム本人ですら、公開当時は気に入らなかったが、後年(25年後!)になって「自身の最高作だと気づいた」とピーター・フォンダに手紙を送ったという。
監督ピーター・フォンダは、『荒野の決闘』(1946年)を手本に映画を作ったという。内容は全然違うが、ゆったりしたテンポ(本当の西部ではめったに馬を走らせることなどなかった)、静かな会話、毅然とした男たちの姿は通じるところがある。そして、出てくる拳銃は雑多で不発だったり当たらなかったりするリアリズム。ワイアット・アープ本人と知り合いだったジョン・フォードが描いた『荒野の決闘』の世界、西部のリリシズムをピーターは見事に再現して見せたし、より現代的な詩的な映像や音楽、ニューシネマ的な結末は、新旧ハリウッド西部劇の見事な融合だった。
同じくジグモンドが撮影したロバート・アルトマンのニューシネマ西部劇『ギャンブラー』(1971年)よりも、ネストル・アルメンドロスがアカデミー撮影賞を受賞したテレンス・マリック監督の『天国の日々』(1978年)よりも早い、まさに早すぎたニューシネマ・ウエスタンの傑作である。
とはいえ、公開当時ユニヴァーサル社は、主人公ピーター・フォンダがヒーローとして活躍するウエスタンと宣伝するためにアクション映画風のポスターを作るが、宣伝配給に力を入れることなく短期間上映しただけで映画は封印され、のちに再編集してテレビ放映された。その間、ウォーレン・オーツと共にヨーロッパ各国をめぐる宣伝旅行に出かけたピーターは、訪れた先の街の映画館で上映用プリントを編集して、少なくとも4種類のディレクターズカットが出来上がっていたという。
まさに“映画作家”らしいエピソードだが、『ラストムービー』(1971年)の編集に1年近くかけて難解極まりないシュールな名作を作ってしまったデニス・ホッパーと比べると面白い。勝手に想像するに、ピーターはきちんと締め切りを守るのだが、後になって編集をやり直したくなるタイプなのだろう。
アメリカ以外の各国で作られたポスターが、アメリカ版とはまるで雰囲気が違っているのも、面白い対比といえるだろう。どの国も、決して単なるアクション西部劇とは打ち出していないのは明らかだ。
「監督・主演ピーター・フォンダ」と大きく打ち出した日本初公開時のポスターには、不思議なほどに小さく「《イージー・ライダー》の」と加えられていて、なぜか最下部にマカロニ・ウエスタンの影響か「さすらいの果て 夕陽は 男の肩に 沈む」といまいちリズムの悪い惹句がついている。配給宣伝部の妙に遠慮気味な態度が気になるところ。
一方、西部劇なのにモダンなテイストのフランス版は馬の影が逆になっているのもオシャレ。題名は「国境のない男」の意味。
題名は「国境のない男」の意味。西ドイツはマカロニ・ウエスタン好きのお国柄か少しハードなイメージでタイトルは「ロング・ライド」になっている。
1982年の暮れ、日本映画『だいじょうぶマイ・フレンド』(1983年)に出演するために来日したピーターは、撮影期間中のある日、東宝撮影所で市川崑監督に遭遇し、噴水の前に腰かけて会話する機会があったそうだ。驚いたことに、市川崑監督はすでに『さすらいのカウボーイ』を観ていて、「映画を撮ったとき、君は何歳だったんだね?」と訊いてきた。ピーターが「30歳になったばかりでした」と答えると、「私は今までに女性映画をたくさん撮ってきたが、どうやったらあんな風に女性を描けるのかわからない」と驚いていたという。
そのとき市川崑はちょうど、名作『細雪』(1983年)の撮影中だった。エンディングも見事だと褒められたピーター・フォンダは、誇らしげにインタビューでそんなエピソードを語っている。(ディレクターズカット版DVDの特典映像・インタビュアー:町山智浩)
2003年になってついに公開された『さすらいのカウボーイ/ディレクターズカット版』は、ピーター本人によって再編集され、数か所のシーンがカットされた結果、上映時間1時間31分と初公開版より2分ほど短くなっていた。ディレクターズカットといえば通常は長くなるものだが、ピーター・フォンダが作品に対する的確な視点を持った優れた映画作家であることを如実に表しているといえるだろう。
ピーター・フォンダの人気はアメリカ以外の国のほうが高かったのかもしれない。70年代には『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』(1974年)、『悪魔の追跡』(1975年)、『ダイヤモンドの犬たち 』(1976年)、『アウトローブルース』(1977年)など、コンスタントにアクション物に主演した。日本では「シンプルライフ」(洋服)「ホンダ・タクト」(スクーター)「ブレンディ」(コーヒー)などテレビコマーシャルにも出演し、お茶の間でもおなじみの顔になっていた。
『イージー★ライダー』ではアウトローだったはずのワイアットは、いつのまにか“アメリカの顔=キャプテン・アメリカ”として世界中にファンを増やしていた。冷戦時代だというのに、東欧諸国でも彼の主演作が公開されたことがポスターの存在によってわかる。
ヘンリーとピーターの父子関係はいろいろ複雑な事情はあったようだが、基本的に息子はいつか父に認めてもらおうと努力し続けていたように見える。ピーターが出世作『イージー★ライダー』を撮影していたちょうど同じころ(1968年春)、父ヘンリーはなんとイタリア人セルジオ・レオーネが監督するマカロニ西部劇『ウエスタン』で“悪役”を演じていたというのも感慨深いのだが、ふたりの関係は疎遠なままだったという。
そして、ようやく1976年になって、息子ピーターは初めて父に『さすらいのカウボーイ』を見せることができた。そしてピーターの監督第3作となる現代西部劇コメディ『グランドキャニオンの黄金』(1979年/日本劇場未公開・テレビ放映)では、最初で最後の父子共演を果たす。しかも、ヘンリー演じる黄金を探し続けている老人が登場すると、「いとしのクレメンタイン」(『荒野の決闘』の主題曲)が流れるという粋な演出がほどこされていた。
ヘンリー・フォンダは共演の3年後に世を去っている。今ごろ、天国で一緒に『荒野の決闘』を観ているんじゃないだろうか。かたわらに馬とハーレーを置いて……。
文・セルジオ石熊