鑑賞前の情報は最小限でOK!『ジョーカー』の衝撃を全身で受け止めるべし
映画が終わる前からわなわなと身が震え、得体の知れない衝動が突きあげてきた。それからは寄せては返す高揚と困惑。そして、こうして原稿を書いている今、観てから数日経っているのにいまだ落ち着かない日々が続いている。この興奮は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015年)以来かもしれない。テイストはまったく違うけど。
すでにご存知の人のほうが多いかと思うが、映画『ジョーカー』は、ひとりの男がバットマンの宿敵ヴィランと知られる“ジョーカー”となるまでのストーリー。これまでにもコミックでは様々なオリジンが生み出されてきたが、今回は映画オリジナルのジョーカーの成り立ち物語が描かれる。
正直なところ、観る前の情報はこのぐらいでいいんじゃないかと思っている。コミックだけでなく、ドラマ版や映画版など、過去に描かれてきたジョーカーのちょっとしたネタが丁寧に散りばめられたり、『ネットワーク』(1976年)や『タクシードライバー』(1976年)、『キング・オブ・コメディ』(1983年)などへのオマージュはあるけれど、それらの作品を予習する必要はまったくない。
というか、むしろ予習なんてしないほうがいいかもしれない。そのほうが受けるショックは絶大だから。ショックは強ければ強いほどいい。
う~んキツい! アーサーが狂気の渦へ吸い込まれていく過程を丁寧かつ饒舌にこってり描く
ジョーカーとなる男、ホアキン・フェニックス演じるアーサーは、ずっと苦しんでいる。職業・ピエロ。売れっ子コメディアンを夢見る独身。母親との2人暮らし。「みんなを楽しませたい」という信念を持っているが、街中で看板持ちをやっていれば愚弄され、良かれと思って小さい子供に変顔を披露すれば拒絶される。
アーサーの素直な善意は誰にも受け取ってはもらえない。何か行動を起こせば必ず裏目に出て、様々な局面で社会から切り捨てられていく。アーサーは反社会的な存在=ジョーカーになりたくてなったわけじゃなく、反社会的な“側”へと追いやられていく。理由はいくつもあった。
アーサーが狂気の渦へ吸い込まれていく様はしんどくなってくるほど丁寧に、しつこいぐらい饒舌に描かれる。アーサーがジョーカーになるということを知っていたのが救いだったかもしれない。それくらいキツイ状況を克明に描いていく。ジョーカーというキャラクターさえ知らない人が観たらどうなるんだ? そんなことを思った。
「笑いの時代は終わりました。これより、不道徳の時間を始めます」
アーサーはよく踊る。嬉しいとき、悲しいとき、その体内で蠢く複雑な感情をダンスで表現する。ダンスは人間にかかわらず、鳥の求愛をはじめ、生きとし生けるものが根源的に持っている、もっともピュアな表現方法だ。ダンスするアーサーの表情から指先までを、手持ちカメラが揺れながらクローズアップで捉えていく。繊細なんてもんじゃない、ホアキン・フェニックスの神経を尖らせた演技に釘付けになる。
この映画で受けた衝撃は、身に覚えがあった。それまで「行け!稲中卓球部」などのギャグ漫画を描いていた古谷実の、“笑い”を排除した漫画「ヒミズ」(2001年~)が始まったときだ。アーサーがジョーカーとなったとき、「ヒミズ」連載スタート時のキャッチコピーを思い出した。
「笑いの時代は終わりました。これより、不道徳の時間を始めます」というやつだ。
文:市川力夫
『ジョーカー』は2019年10月4日(金)公開
『ジョーカー』
「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに秘かな好意を抱いている。笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気あふれる<悪のカリスマ>ジョーカーに変貌したのか? 切なくも衝撃の真実が明かされる!
制作年: | 2019 |
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監督: | |
出演: |
2019年10月4日(金)公開