若き未亡人メイドと雇い主の御曹司の禁じられた階級差ラブストーリー
今夏も次々と、日本でインド映画が公開される。その中にあって、もっとも衝撃的な作品が『あなたの名前を呼べたなら』だ。本作は2018年のカンヌ映画祭批評家週間で、GAN基金賞金賞を受賞した。また、他の国際映画祭でも様々な賞を受賞しているのだが、なぜかインドではいまだに公開されていないのだ。そこを追求してみると、インド映画とインド社会の問題点が見えてくる。
本作の主人公は、大都会ムンバイで住み込みのメイドとして働くラトナ(ティロタマ・ショーム)。出身地は、ムンバイから長距離バスで2~3時間、そこからさらに乗り合いタクシーやバイクを乗り継いで辿り着く、デカン高原の小さな村だ。ラトナは若くして結婚させられたあと、病弱だった夫がすぐに亡くなり、19歳で未亡人になった。実家の妹の学費を負担し、婚家にも仕送りをしなくてはならないラトナは、ムンバイに出て建築会社社長の御曹司アシュヴィン(ヴィヴェーク・ゴーンバル)のマンションに住み込む。
アシュヴィンは当初結婚の予定があり、ラトナは新婚家庭で働くはずだったのだが、式の直前にアシュヴィンの結婚は破談になってしまった。やり場のない鬱屈を抱えるアシュヴィンを見守りながら、ラトナはそのまま勤め続ける。そんなラトナの夢はファッション・デザイナーになることで、妹に高卒資格を取らせて、2人で店を開こうと考えている。
仕事の合間に裁縫教室に通い、夢の実現を目指すラトナ。その自立心や意思の強さに感銘を受けたアシュヴィンは、彼女を応援しようとするが、その気持ちはいつしか恋愛感情へと変化していく……。
根深い階級システムをブチ壊す快作!!
インドは、ものすごい格差社会、階級社会である。カースト制も根底にあるが、それよりも経済的な格差とそれに伴う教育程度等の社会的格差が厳然と存在し、一瞬にして人々を色分けする。特に、家庭内での雇い主と使用人の立場には天と地ほどの差があり、両者はまったく別世界の住人と言っていい。
雇い主と使用人の恋は、おとぎ話や夢物語に出てくることはあっても、現実には絶対と言っていいほど「ないない!」で、この映画をすでに見ていたインドの友人に聞くと、即座に「インポッシブル!」と返されてしまった。つまり本作は、格差社会、階級社会のシステムをブチ壊す、ある意味とても過激な映画なのである。
長編デビューを果たした女性監督が明かすインドの厳しすぎる階級問題……
監督は、1973年インドのプネーに生まれ、欧米で映画製作のキャリアを積んだあと、ボリウッド映画の脚本も手がけたりしているロヘナ・ゲラ。これが彼女の長編第1作である。
「インドでは、こういう家庭内労働者はよく見かけます。低賃金で働いてくれるので、裕福な家庭でなくても雇えるのです。私の家でも、私が小さい時から住み込みで働いている人たちがいました。幼心にも何だか不公平な気がして、罪悪感を感じていたんですが、世の中のシステムは簡単には変わらない、ということもわかっていました。ですので、今回こういう階級問題を取り上げようと思った時、ラブストーリーを通してだったら描けるんじゃないかと思いついたんです。私たちは愛する人をどのように選んでいるのか、どういう人なら愛することが許されているのか、等々を考えた結果が、この物語になりました」
ロヘナ・ゲラ監督は、ラトナを使用人に設定したことに加えて、「未亡人」というハードルまで課している。劇中でラトナがアシュヴィンに、「村では、未亡人になったら人生終わりです」と語るシーンがあるが、特にインド人の約8割を占めるヒンドゥー教徒の場合、未亡人になると様々な制約に直面する。衣服は基本的に白かブルー系の無地、アクセサリーは一切付けない、等々で、昔は髪を剃らせた地域もあったという。夫の菩提を弔って生きていけ、というわけである。ラトナは外見からは未亡人とわからないが、村ではアクセサリーを一切付けず、ムンバイに向かうバスの中で腕輪をはめ、帰途は腕輪をはずす。
「未亡人になった場合、自分の生活を支えるために都市に働きに出る、というケースが結構見られます。ですので、ラトナもそれでムンバイで働くようになった、という設定にしたかった。あと、インドでは女性が夫に先立たれた場合、再婚することはこれまであまりなかったんです。特に子どもがいる場合は、ほとんどの人が再婚しなかった、するのが難しかった、ということがあります。今はちょっと変わってきていますが、農村だけではなく、都市でも同じです」
人生まだまだこれから! インドならではの服飾を通して女性の自立を描く
だがラトナは、前述の「未亡人になったら終わり」発言に続けて、「でも、今、私は稼いでいて、妹を学校にも行かせています。人生、終わりじゃないんです」と付け加え、アシュヴィンを励ます。そして、ファッション・デザイナーになりたいと意思表示し、そのための実績を次々と積んでいくのだ。このあたり、観客もアシュヴィンと同化して、ラトナを応援したくなってしまう。
「ファッションは、自分を表現する手段になりますよね。主人公について考えた時、彼女の歩んでいく過程を表現するには、ファッションがピッタリだと思いました。彼女の着ているサリーを見ていただければわかるのですが、物語が進むにつれ少しずつ変わっていっています。ブラウスやサリーのボーダーに自分らしい色や布を合わせる、少し違うものを使ってみる、といったことをしていくんです。サリーの着方のそういう工夫は、階級問題に関係なく見られてすごく楽しいし、とても視覚的ですよね。さらにラトナは、ボリウッド映画などでゴージャスな女優の姿に触れて刺激され、女性としてどうやってその世界に入り込めるか? と考えた時に、“ファッション・デザイナー”が浮かんだのではないでしょうか。今はどんな場所でもテレビが見られますので、そういう職業の存在もみんな知っています」
憧れのブティックに入って服を見ていたら、貧乏人と見定められて店員から追い出される屈辱も味わうが、ラトナは同じマンションのメイド仲間ラクシュミ(ギータンジャリ・クルカルニー)の助けも借りて、妹のドレスを作ったり、アシュヴィンの誕生日には手作りシャツを仕立ててプレゼントしたりするまでになる。そのシャツはなかなか粋な仕上がりで、アシュヴィンが別人のように見える。これは、監督の意を受けて、衣装デザイナーが制作したそうだ。
「ラトナの経験からくる女性らしいプリントの使い方を生かし、襟元と袖のところにちょっとユニークなデザインが入るものを作ってもらったんですが、撮影現場では大好評で、みんながほしがりました。最終的に撮影監督のドミニク・コリンさんがゲットして、持って帰りました(笑)」
インド国内では公開未定 日本で鑑賞できる幸運に感謝しつつ劇場へ行こう
ラストに到るまでにはさらに紆余曲折があるが、希望を感じさせるシーンで物語は締めくくられる。その意図を汲んで、『Sir(旦那様)』という原題が『あなたの名前が呼べたなら』という邦題になったようだ。監督も、「世界のいろいろなタイトル訳の中で、一番好きかも知れません」と語っている。あとは、インドでの公開を実現するだけだ。
「インドでの一般公開は、大きなチャレンジですね。公開がなかなか実現しないのは、スターが出演していない、というのが最大の理由なんです。こんなことを変えていくためにも、私は闘わなくてはいけないと思っています。きちんとした劇場公開か配信を目指していきますが、大切なのは、映画で描かれている問題やテーマについて、観客の皆さんに語り合っていただくことだと思うのです。2018年にカンヌ映画祭で上映されてから2年間、ずっと言い続けていることですが、有名なスターが出ていないと見てもらえない、というのは間違っていると信じたいです」
インドの階級社会、格差社会のシステムに、愛の力で風穴を開けようとする『あなたの名前を呼べたなら』。描写は控え目なのに、衝撃度は大きい。これから見る日本の観客に、ロヘナ・ゲラ監督はこうメッセージを寄せた。
「この映画は、住み込みのメイドと彼女の雇い主とのお話を描いていますが、愛と、変化の可能性を追求した作品と言えます。とても希望に満ちた作品で、日本の観客の皆さんも映画に入り込んで、登場人物たちを好きになり、一緒に変化の過程を辿っていただけると信じています。ぜひご覧になって下さい」
取材・文:松岡環
『あなたの名前を呼べたなら』は2019年8月2日(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー
『あなたの名前を呼べたなら』
インドのムンバイ。農村出身で夫を亡くしたメイド、ラトナの夢はファッションデザイナーだ。彼女が住み込みで働くのは御曹司アシュヴィンの新婚家庭……のはずが、結婚直前に破談に。ある日、ラトナがアシュヴィンにあるお願いをしたことから、ふたりの距離が縮まっていくが……。
制作年: | 2018 |
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監督: | |
出演: |