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11歳の妹は親の金欲しさに強制結婚させられた。僕は親を「生んだ罪」で告訴した… 虐待、移民、貧困を描く『存在のない子供たち』

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ライター:#大倉眞一郎
11歳の妹は親の金欲しさに強制結婚させられた。僕は親を「生んだ罪」で告訴した… 虐待、移民、貧困を描く『存在のない子供たち』
『存在のない子供たち』©2018MoozFilms/©Fares Sokhon

楽しい映画しか見ない

ある知人に「楽しくて、明日も頑張るぞ、いいことあるぞ、と思える映画しか観ないことにしてます」とキッパリ申し渡されたことがあった。何かの宣言という風でもなかったので、「それは違うよ」というほどのこともなく、「そうですか」としか反応しなかったが、ちょっと驚いた。

『存在のない子供たち』©2018MoozFilms/©Fares Sokhon

そうか、そんなに楽しいのがいいのか。辛いのは嫌なんだ。そうね、私も『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)『メリー・ポピンズ』(1964年)大好きだから、楽しい映画は好き。そんな映画だけ観ていられたら、幸せかも。か?

『サウンド・オブ・ミュージック』も、郵便配達のニイちゃんが密告した後、もし逃げ遅れて全員逮捕されてたら、辛い話だ。そもそも亡命の話だし。『メリー・ポピンズ』も親父が腹を立てた挙句、メリー・ポピンズを追い出し、子どもたちが号泣してたら、やっぱり辛い話。

『存在のない子供たち』©2018MoozFilms/©Fares Sokhon

話は切り取り方によって、いかようにも変わるし、「辛い映画」も最後に「希望の光」が見えただけで「いい話」にもなる。私が言いたいのは「楽しい映画」、たくさんあって結構。みんなで泣いて笑って、幸せになったときに、そんなことばかりじゃないよね、と一度足踏みして欲しいかも、ということでございます。

ノンフィクションなフィクション

『存在のない子供たち』は全編通じて辛かった。最後がどうだかは書かないが、この作品は辛い部分に核心がある。

場所はレバノンのベイルート。学校へ行く金銭的余裕もなく、1日中路上で妹のサハルと小銭稼ぎのために働き続けるゼイン。「明るい未来」を期待しようにも、それがどんなものなのかさえわからない、想像することもできない。ただ妹と仲良く生活するだけで、日々暮らすことの充実感は得られていたはずだった。ゼインもサハルもそれ以上のことは望んだことはなかったのだが、両親は金欲しさにサハルを誰ともわからない男と結婚させてしまう。泣こうが喚こうが、子どもの言うことを聞くような親ではない。

『存在のない子供たち』©2018MoozFilms/©Fares Sokhon

ゼインは家を出る。出たところで全く当てはない。小さく痩せた12歳の子どもが「仕事はないか」と聞いて回ったところで、雇うような人間はいない。それを見かねて自宅に連れて帰ったのが、エチオピアからの不法移民ラヒル。赤ん坊のヨナスの世話を頼んで、昼間働きに出る毎日。これはこれで一つの「幸せ」のかたちだったかもしれないが、こんな小さな光のカケラさえいきなり奪われてしまう。

おそらく「希望」がなければ「絶望」もない。ただ、どうしていいのかわからない。我々から見れば、不幸の上に不幸が塗られ、さらにその上から繰り返しナイフで刺されるような状況にもゼインは絶望せず、ある場所で見たテレビ番組に触発され、怒りをぶちまけ闘い始める。そして、「なぜ僕を産んだ」と両親を訴える。

『存在のない子供たち』©2018MoozFilms/©Fares Sokhon

貧困、移民、複雑な社会状況を、あたかもノンフィクションのようにあぶり出すこの作品のベースは、まさにノンフィクションである。

出演者はフィクションを演じてはいるが、不自然さが全くない。監督で女優のナディーン・ラバキー以外、1人としてプロの役者が登場していないからである。それで映画が成り立つのかと疑問に思うだろうが、スクリーンは恐ろしいほどのリアリティで満たされている。

『存在のない子供たち』©2018MoozFilms/©Fares Sokhon

主要登場人物は難民、移民、不法移民、生活困窮者であり、いわゆるストリート・キャスティングで出演を依頼された人々である。撮影期間中に実際に逮捕された人も複数いて、なかには赤ん坊を抱える両親もいた。家族を失った少女もいれば、家族離散となってしまった人もいる。

彼らはカメラの前で演技をし、セリフを吐き出す。それは自分の経験を取材者に訴えるかのような行為である。

辛い。辛い。辛い。

「辛い映画」と自分との距離

初めはこの作品を観ながら、この状況に置かれた人々との距離を感じ、いかにすればこの不幸な状況を打開することができるのだろう、私にできることは何もないのか、せいぜいNPOに送金することくらいかと、どこか遠い世界の話のように感じていたが、翌日、これは世界中で起きている普遍的な物語であることに気がついた。

『存在のない子供たち』©2018MoozFilms/©Fares Sokhon

もちろん、表面的には不幸の見え方が違い、尺度も国によって様々だが、同じことが起きている。貧困、移民、難民問題は全世界を通じて語られるべきことである。難民を受け入れている、受け入れていない、受け入れているがこれ以上受け入れたくない。問題を真っ正面に見据えて議論する国もあれば、見えないふりをしているだけの国もある。しかし、今ここにある危機は厳然と存在している。認識しているのに知らないふりをすることほど恥ずかしいことはない。

幼児・児童虐待、ネグレクトが日常の話題。難民を見ない、移民もいないように振る舞いたい。私が住んでいる国で頻繁に起こっている事象である。

『存在のない子供たち』©2018MoozFilms/©Fares Sokhon

「辛い映画」を観ることで、私たちが意識していなかった、いや、見えないふりをしていたものが目の前に浮き上がってくる。

事実を知ったとして、何もできないのに意味があるのかと問う人もいるだろう。答えは、まずこの作品を観てから考えてほしい。

文:大倉眞一郎

『存在のない子供たち』は2019年7月20日(土)シネスイッチ銀座、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほかロードショー

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『存在のない子供たち』

親を告訴する。僕を生んだ罪で。
小さな少年ゼインに宿る、弱きものを守りたいという逞しく強い愛情を描いた、感動のドラマ。

制作年: 2018
監督:
出演: