日本中が熱狂した2024年のMLB
大谷翔平の華々しい活躍、白熱したポストシーズンの試合、そして43年振りのヤンキースVSドジャースの顔合わせでのワールドシリーズと、1年を通じて話題を提供し続けてくれたメジャーリーグ・ベースボール(MLB)。大谷の活躍ぶりについては改めて記すまでもないが、MLB史上初めてとなる50-50(50本塁打&50盗塁)という、桁外れの記録達成に日本中が沸いた。
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— MLB (@MLB) October 31, 2024
パワーとスピードの両方を兼ね備えた超一流の歴代選手たちの中でも、過去に40-40を達成したのはホセ・カンセコ、バリー・ボンズなど5人だけだったところを、大谷は6人目となっただけでなく、一気に前人未踏の50-50を突破。60-60も視野に入ってくるところまで記録を伸ばし、打率も伸びて三冠王も目前だった(最終的には54-59で打率は2位)。
さて、大谷ばかりが目立った今年のMLBだが、ナショナルリーグ優勝決定シリーズでドジャースと戦ったのがニューヨーク・メッツ。今シーズンを故障で離脱していた千賀滉大が復帰を果たすなどドジャースと激闘を繰り広げたが、結果は4勝2敗でドジャースがワールドシーズに勝ち上がった。メッツはリーグ戦最終盤から奇跡的な勝利をもぎとってきたので、“ミラクル・メッツ”の再来か!? とも言われた。
Kodai Senga retires Shohei Ohtani in their first matchup in the #NLCS. pic.twitter.com/9MPZKrKUca
— MLB (@MLB) October 14, 2024
なぜNYメッツは“ミラクル・メッツ”と呼ばれたのか?
“ミラクル・メッツ”とは、1969年、チーム創設8年目のメッツが、下馬評を覆して初めてリーグ優勝を決め、ワールドシリーズでもボルチモア・オリオールズを4勝1敗で下して初のワールドチャンピオンとなった奇跡の年のチームを称して名付けられた愛称。
1969年のメッツ監督は元ブルックリン・ドジャースの強打の一塁手ギル・ホッジスだったが、そもそもメッツというチームは、1957年のシーズン終了後に当時のブルックリン・ドジャースとニューヨーク・ジャイアンツの2チームがそれぞれロサンゼルスとサンフランシスコへ移転した結果、NYを本拠地とするチームがヤンキースだけになってしまったことで、もう一度NYにナショナルリーグのチームを作ろうと、元NYジャイアンツ共同オーナーの一人ジョーン・ペイトンが中心に1962年に設立。ドジャー・ブルー、ジャイアンツ・オレンジを組み合わせたチームカラーとし、NYのロゴはジャイアンツのものをそのまま使用することで、両チームの伝統を受け継ぐ新チームとして誕生した。
1986年にもボストン・レッドソックスを下して二度目のワールドシリーズ制覇を成し遂げ、その年も“ミラクル・メッツ”とは呼ばれたが、1986年の場合はその前年、前々年とリーグ2位だったから十分に優勝する力はあった。それに対して、1969年のメッツの場合、球団創設の1962年から前年までの7シーズンで、当時10球団だったナショナルリーグで10位が5回(初年度から4年連続を含む)、9位が2回という毎年ビリ争いを繰り広げるMLB最弱チームだったからこそ、“ミラクル”と称されたのだ!
『オーロラの彼方へ』
1999年、NYにオーロラが発生したある日、ニューヨーク市警察の刑事ジョンは父の形見の無線機を見つけ、ある男と交信する。その相手は30年前に亡くなった父フランクで、その日は消防士だった父が事故死する、まさに前日だった! ジョンはなんとしても父を救おうとするが……。
監督:グレゴリー・ホブリット
出演:デニス・クエイド ジム・カビーゼル エリザベス・ミッチェル
制作年: | 2000 |
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CS映画専門チャンネル ムービープラスで2024年12月放送