名優ウィリアム・ハートのキャリア
俳優ウィリアム・ハートの代表作といえば? おそらく真っ先に挙がるのは1985年の『蜘蛛女のキス』だろう。獄中の同性愛者を妖しく、しかし健気に真っ直ぐな男として演じたハートは見事、アカデミー賞主演男優賞を受賞している。
大胆な映像表現が賛否を呼んだ『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』(1979年)をはじめ、『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(1990年)、『スモーク』(1995年)、『A.I.』(2001年)、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005年)など、いま振り返れば映画史的な重要作品に出演してきたハートは、まごうことなき名優であった。MCUファンには“サンダーボルト”ロス将軍としておなじみだろう。
そんなハートは2022年に71歳で逝去。世界中の映画ファンが彼を追悼したが、やはり生前の加害行為に言及する人も少なくなかった。『愛は静けさの中に』(1986年)で共演したマーリー・マトリンが2009年に出版した回顧録の中で、同棲中だった彼から精神的・肉体的な虐待を受けたと告白していたのだ。
ハートを告発した勇気ある女性たち
マーリー・マトリンの名に覚えがなくとも、第94回アカデミー賞で作品賞ほか3部門を受賞した『コーダ あいのうた』(2021年)の主人公の母親役、と聞けばその顔をすぐに思い出すだろう。生後十数ヶ月でろう者となったマトリンだが、これまで輝かしいノミネート/受賞歴を誇る名優である。
21歳のとき、演技デビュー作『愛は静けさの中に』でアカデミー賞主演女優賞を最年少受賞したマトリンは、ハートとプライベートでも交際し同棲中だった(当時19歳)。しかし、アカデミー賞受賞時のプレゼンターでもあったハートは壇上では彼女を祝福しながら、その裏では尊厳を踏みにじるような暴言を浴びせていたという。
ハートはマトリンだけでなく他の交際相手からも告発されており、彼もそれに対し明確な反論はしなかったようだ。まだ駆け出し時代に交際していた作家ドナ・カズが、ハートの死に際し某メディアに寄せたコラム記事も恨み節というわけではなかったが、被害者の心に数十年間も刻まれたままの傷を再び開くような痛切なものだった。