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インド映画スター、与党を倒す影響力 『ムトゥ 踊るマハラジャ』セリフに隠された政権へのメッセージ

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ライター:#安宅直子
インド映画スター、与党を倒す影響力 『ムトゥ 踊るマハラジャ』セリフに隠された政権へのメッセージ
『ムトゥ 踊るマハラジャ』©1995/2018 KAVITHALAYAA PRODUCTIONS PVT LTD. & EDEN ENTERTAINMENT INC.
『ムトゥ 踊るマハラジャ』は、2018年に日本公開20年目を記念して、4Kデジタル・リマスターが行われ、リバイバル公開されました。『バーフバリ』二部作と『ムトゥ』、新旧の超話題作が同時に映画館で上映されていた同年末は、一種の奇跡のようでした。今回は、伝説のインド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』の変わらぬ魅力と隠れた文脈に迫ります。

日本で愛される『ムトゥ 踊るマハラジャ』と『バーフバリ』の共通点

『ムトゥ 踊るマハラジャ』 ©1995/2018 KAVITHALAYAA PRODUCTIONS PVT LTD. & EDEN ENTERTAINMENT INC.

『ムトゥ 踊るマハラジャ』(以下、『ムトゥ』)と『バーフバリ』、題材も作風も全く違う二作ですが、共通点もあります。「外国映画なのに楽しむための予備知識をほとんど必要としない」というのがそれで、これこそがブームと称される大きなうねりを巻き起こした理由なのでしょう。もちろん、一度その魅力に絡めとられたら、演じ手や製作者の他作品を観たり、作品の背景となった場所に行ってみたりと、ファンは様々なやり方で映画体験を深めて行きます。けれどもそうした探求の後に再び作品に戻った時、見方が大きく変わるかというと、そうでもなく、初見時と同じく作品世界の圧倒的な魅力に再び打ちのめされるのです。知識や分析によって味わうのではなく、色・音・動きといった感覚的な要素によって作中世界に没入させられる、そんなパワーを持った傑作が、『ムトゥ』と『バーフバリ』なのです。

日本では歴史的な一作となった『ムトゥ』ですが、1995年10月のインドでの封切り時における評価はちょっと違ったものでした。本作は決して興行的な失敗作ではなかったものの、3年後の「日本で大ウケ」情報のフィードバックがなければ、1990年代のタミル語映画史の中では埋もれた存在になっていた可能性があります。同じラジニカーントの主演で同年1月に封切られてブロックバスターとなっていた『バーシャ! 踊る夕日のビッグボス』(以下『バーシャ!』、日本では2001年になって劇場公開)のインパクトがあまりにも巨大で、それを上回ることが期待されていましたが、結果的には平均作として終わったのです。両作を見比べると、アンダーワールドでの激しい対立の構図をベースにして、大都会を舞台にバイオレントな復讐や裏切りが展開する『バーシャ!』に対して、『ムトゥ』は田舎を舞台にした人情譚で、ラストで成敗されなければならない悪役も存在せず、一方で時に哲学的な台詞や歌詞が心に残る極上のファンタジーです。

スーパースターの言葉が政局に与えた激震

『ムトゥ 踊るマハラジャ』 ©1995/2018 KAVITHALAYAA PRODUCTIONS PVT LTD. & EDEN ENTERTAINMENT INC.

しかし、そんな『ムトゥ』にもスパイシーな要素は存在します。主演のラジニカーントは『バーシャ!』の成功によって押しも押されもせぬスーパースターのステイタスにのぼりました。インドの地方語映画界において、スーパースターへの崇拝は政治的な熱に容易に転化します。そして同じころ、タミルナードゥ州首相であるジャヤラリター女史とラジニカーントの対立がよそ目にも明らかなものとなり、ラジニカーントの政界入りへの期待がファンの間で盛り上がり、圧力を増していました。そんな時期に『ムトゥ』は封切られたのです。ちなみに、ジャヤラリターもまた1950~70年代のタミル語・テルグ語映画界の人気女優だった人物です。

『ムトゥ』の導入部、お屋敷の使用人たちが旦那様のお出ましを待つシーンで、どこかに行って姿が見えなかった主人公ムトゥが絶妙なタイミングで現れて「俺は人の知らぬ間に現れて/肝心な時にはいるのさ」と口にします。この台詞、日本語字幕では字数の制約から簡略化されていますが、原語をそのまま訳すと「俺がいつ、どんな風に現れるかは誰にも分かりゃしない。だけど、ここぞという時には必ず現れるのさ」というような感じです。

『ムトゥ 踊るマハラジャ』 ©1995/2018 KAVITHALAYAA PRODUCTIONS PVT LTD. & EDEN ENTERTAINMENT INC.

また、ムトゥとランガの隣の州でのダンスナンバー「クルヴァーリの村で」では、「何の党?/我らの党/我らの党は 愛の党/党など俺たちに用はない/愛が育つのは時間しだい」という歌詞があります。これも後半部分を直訳すると「党だとかそういうものが今必要かい?時に決めてもらおうよ」と思わせぶりです。そしてそこでムトゥが身にまとっているのはタミル語でヴェーシュティ・シャッタイ(Veshti Sattai)と呼ばれる、やや現代風にデザインされた伝統衣装で、市井の人々の準正装であるのと同時に、タミルナードゥ州の政治家たちが好むスタイルでもあります。

これらふたつ、特に前者の台詞は、日本人にはすっと流してしまいそうなさりげないものに思われますが、現地ではラジニカーントの政界入りへの期待というツボを大いに刺激する起爆剤のような効果を持っていたと言われます。結局ラジニカーントは自ら立候補はしませんでしたが、ジャヤラリターが率いる与党を激しく批判する姿勢を打ち出します。そして、1996年の州議会選挙では、野党陣営のいくつかが、本作のオープニングソング「主(あるじ)はただ一人」を選挙カーで流して回ったそうです。さらに、ラジニカーント自身がオフスクリーンで、「ジャヤラリターの与党が再選されたら、このタミルナードゥを神ですら救えなくなる」とぶち上げ、汚職など各種のスキャンダルを抱えて満身創痍だった与党にとどめの一撃を加え、選挙の結果、州の政権は交代することになりました。

インド映画、特に南インドのスーパースター主演作には、このような引用や挿話が織り込まれていることが多いそうです。こうした様々な蘊蓄を仕入れたうえで、改めて向き合っても、やはり『ムトゥ』は混じりけのない幸福感で圧倒してくる、まさに「見る極楽浄土」なのです。

文:安宅直子

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『ムトゥ 踊るマハラジャ』

南インドのタミル・ナードゥ州。大地主ラージャーに仕えるムトゥは、御者兼ボディガ−ドとして周囲から絶大な信頼を得ていた。ある日、ラージャーが劇団女優ランガに一目惚れ。トラブルに巻き込まれたランガを連れ帰るようムトゥに命令するが、大騒動の道中でランガはムトゥと恋に落ちてしまう。

制作年: 1995
監督:
出演: