鬼才テレンス・マリックが、オーストリアの英雄の物語に込めた想いとは
テレンス・マリックの新作は、実話を元にした物語。ナチス・ドイツに併合されたオーストリア、ザルツブルク地方の山村で、3人の娘と暮らしている若い夫婦。畑を耕し、牛を飼い、パンを焼く。慎ましくも温かい暮らしの最中、ナチス・ドイツからの夫への収集令状が届くのだが、夫はハイルヒトラーの敬礼を拒否し、逮捕され収監されることに…。
「NOということが難しくなったとき、人々は どうするか、ということを描く作品です。列車が間違った方向へと進んでいくのに、なぜ人々はその列車に乗ってしまうのでしょうか」と、夫フランツを演じたアウグスト・ディール 。彼は『イングロリアス・バスターズ』にも出演したドイツ人俳優である。
モデルになったフランツは敬礼を拒否し、兵士としての仕事を拒否したため処刑された人だ。ナチス・ドイツに抵抗を貫いた人物として英雄視されている。フランツと妻の書簡は出版され、オーストリアでは有名である。
「フランツは誰かを救ったヒーローではありません。 自分が正しくないと思うことをすることはできないと、信念を曲げずに戦い続けた人物です。宗教的な理由というよりも、個人的な理由でした。大変な困難を彼と家族にもたらしますが、苦しさに耐え抜きます。なにが彼らを支えたのか。神の教え、というより、それは家族との絆、特に妻ファニとの強いコネクションによるものだと思います」とオーガスト。ファニ役のヴァレリー・パフナーが続ける。
「ファニとの絆は、そうですね、スピリチュアルなものといっても良いかもしれません。つまり、それが「愛」というものだと思います。この作品はラブ・ストーリーなんです」
オーガストが付け加える「マリックの作品だから哲学的な、スピリチュアルなものだというところもあると思いますが、もっとシンプルなのではないかと思います。この家族を取り巻くもの、食べるものを育て、麦が実り、家庭があって、自然があって、子供達がいて…全てが繋がっているんです」
山の中、氷河が削った後にできた谷の薄い土壌を農民たちは耕す。村人総出で草を刈り牛や羊に餌をやる。終わることのない農作業が彼らの日々の暮らしである。そんな暮らしと風景を素晴らしいカメラが捉えていく。
フランツが兵役に出た後、ファニは農作業や子育てをこなしていく。村人はフランツの逮捕を知り、裏切り者だとしてファニたちを村の共同作業から弾き出すようになる…。
自然体を大事にするマリックの演出方法
「村に暮らす人々が毎日している当たり前の瞬間を、リアルにやってのけることが大切でした。男たちが兵隊に行ってしまった後、その作業は女と老人が担わなければ行けない。その困難も描いています。撮影は私たちが動きやすいよう、カメラと監督と私たちだけのような時もありました。マリックはオープンで、俳優にああしろこうしろとは言いません。ストーリーを読んで、キャラクターの本質を掴み、そして近づいて行け、という感じです」とヴァレリー。
アウグストは「参考に何を読めば良いかなと考え、監督に聖書でも読めばいいのかと聞いたら、「いいじゃない?」と言われたんだけど、その後にテレンスが哲学のテキストをいくつか用意してくれたんです。テキストに書いている言葉を台詞として使うのかと思っていたのですが、そのまま台詞として言うのではなく「君の中に染み込んだ出してくれ」と言われました。」という。
今世界的に右傾化が顕在化している。そんな世界をマリックは変えたいのだろうか?
「マリックは世界を変えようというより、悪に対抗しようとしているのだと思います。人間の良心は、悪い心よりも大きいはずです。恐ろしいニュースが多く、悲惨な現実にもうどうしようも出来ないと思ってしまいますが、それは僕らが生きる世界の一部分でしかありません。映画祭のように美しいものが、私たちの周りには多くあります。悪いことのほうが印象に残りやすいですが、そういった身の回りの美しさに気づくことも大切だと思います。」とアウグストはマリックを代弁した。
そして、会見の最後に、ヴァレリーが今も村に住むフランツとファニの3人の娘がカンヌ映画祭のプレミアに先立ち村で開かれた上映で作品を観てくれたと教えてくれました。自分たちが演じた映画を実際の家族が観て満足してくれたことが、マリック監督やキャストたちにとって何よりの喜びだったのではないか。
文:まつかわゆま
カンヌ映画祭スペシャル2019
<日本オフィシャル・ブロードキャスター>CS映画専門チャンネル ムービープラスにて
2019年5月25日(土)カンヌ映画祭授賞式 日本独占生中継ほか、受賞作&関連作計6作品放送